ヘルプマン!15巻

                 
ヘルプマン!(15) (イブニングKC)ヘルプマン!(15) (イブニングKC)

介護職員待遇編パート3。法や規則に縛られて窮屈な介護の現場を変えるために入居者である高齢者達が主体となって戦いを挑む。自治会を立ち上げ、ペットや内職の解禁や外出の自由化などリスクを軽視したやや無茶ぶり感のある内容ではあるのだが、現場で苦しんでいるヘルパーのことへの思いやりを含んだ高齢者達の行動が職員の待遇改善の一助となることで締められているところはドラマとして一応綺麗にまとまっていた。

今までのヘルプマンはどちらかというと家族であるとかヘルパーであるとか行政であるとか要するに高齢者無罪の視点に立って高齢者の周囲が孕む問題を追及していたが、今回のエピソードでは高齢者側も認識を改めていこうよと、それは勿論老人ホームの入居者だけでなく、いつか福祉のお世話になる可能性のある全ての人に訴えかけており、これが引いては介護職員の待遇改善に繋がるのではないかと結んでいる。
                 
        

ヘルプマン!14巻

                 
ヘルプマン!(14) (イブニングKC)ヘルプマン!(14) (イブニングKC)

介護職員待遇編の続き。激務薄給で社会的地位の低い介護職の待遇への掘り下げや鋭い提言を期待していたら、漫画喫茶でスカウトした無職や失業者を介護の現場に引っ張ってきて介護職は人生の先輩であるジジババに学ぶことが多い給与以上にやりがいのある素晴らしい職業であると説くいつものパターンとマンネリなメッセージのみで強引に押し通される展開になっていてがっかりさせられた。

介護の暗い面だけではなく、明るい面をこそアピールしたい、という作者の意図は分かるものの、今回のエピソードについていえば登場人物の失業者などを通してメタ的に介護の面白さを訴えかけようとしている読者という存在に対して、作者が切り込むべきはあくまで介護職員の待遇であるはずなのに、最後はやりがいで誤魔化してしまうのは作者が批判する無理解な周囲と同じになってしまっているのではないだろうか。
                 
        

ヘルプマン!13巻

                 
ヘルプマン!(13) (イブニングKC) ヘルプマン!(13) (イブニングKC)

介護職員待遇編。介護って激務薄給だし、特に男はこれで生活していけないよ、やっぱり理想だけじゃ出来ないよねー。ということが百太郎にもようやく分かる。年々厳しくなる規制の下、労働集約型の福祉施設を原資の介護保険による介護報酬の枠内での運営を強いられる上に、付加価値をつけて利潤を追求する行為が忌避され、介護士を低い賃金報酬で半ばボランティア的に働かせていることで現場に起こる歪みが描かれている。

それでもジジババが喜んでくれればと理念だけで懸命に働こうとするが今回ばかりは百太郎も無理が来たみたい? となっていて、今まで百太郎が理想だけで打算を敵視して無責任に他者を責めたことがどれだけ残酷なことであり現実に悪影響を与えているか、作者自身が今まで表現してきたエピソードと重ねて自虐的にあるいはメタ的に構成されているのは面白かった。ただ、マクロな福祉の問題はあくまで国が社会主義的に解決するしかないという著者の主張自体にブレはなく、その上でしか綺麗事は成り立たないというのは自分もそう思うが……。
                 
        

ヘルプマン!12巻

                 
ヘルプマン!(12) (イブニングKC)ヘルプマン!(12) (イブニングKC)

認知症編の続き。認知症になってあちこちでトラブルを起こし続ける蒲田喜久雄をどうするか、家族が右往左往するなか、蒲田のドラ息子と同棲している水商売の女性が喝を入れる。実はこの女性、百太郎、仁と並んで第三の主人公ともいえるポジションで百太郎の想い人でもあったあのみのりちゃんだった。介護の世界の厳しい現実に耐えられずドロップアウトしていた彼女は、かつての優等生のマドンナキャラとしての面影はなく、水商売の世界に身を投じ、タバコを吸いながら男と暮らし、気だるそうな表情を浮かべる刹那的な女性になっていた。水商売から介護や看護の世界に挑むというパターンは現実でもありそうだが、考えてみれば若いうちは逆があってもおかしくない。

蒲田のケースを通して認知症サポーター養成講座が紹介されており、認知症に対する認知と理解を多くの人々に深めてもらうことで蒲田の生活と容体が安定し、家族に笑みが戻るという状況と、水商売を辞めて再び介護の世界に戻ることを決めたみのりの姿を安易にリンクしてシンプルに理想論を振りかざすところが如何にもこの作品らしかった。面白いなあと思ったのは、蒲田のドラ息子と別れて百太郎のもとに向かったみのりが結局は蒲田の息子とよりを戻すというところで、この一連のエピソードが示すみのりというキャラクターが女性作者ならではのメンヘラ臭をうまい具合に醸していて、それがこの作品を支えているんじゃないかと思う。
                 
        

ヘルプマン!11巻

                 
ヘルプマン!(11) (イブニングKC) ヘルプマン!(11) (イブニングKC)

認知症編。広告代理店で営業畑一本のサラリーマンとして仕事に遊びにとモーレツに取り組みながら日本の高度成長時代を生き抜いてきた主人公が定年退職後に認知症を患うという話。認知症を患い、徐々に自分一人では日常生活が送れなくなってきていることを受け入れられず、自分が輝いていた頃の記憶を反芻し続ける主人公とそれに振り回される家族、というプロット自体は今までもあったが、サラリーマン時代に家族を顧みない生活を送り、定年してからもその気質でいる主人公が家族から見放されていくところは昭和のライフスタイルに警鐘を鳴らす熟年離婚的なテーマを孕んでいる。
                 
        

ヘルプマン!10巻

                 
ヘルプマン!(10) (イブニングKC)

・介護福祉学生編の後半。百太郎に続いて神崎仁まで登場。二人はちゃらんぽらんだった専門学校生が孤独死をテーマに同じ団地内に住む高齢者たちとの交流を通して成長していくのを手助けし、介護士への情熱を漲らせていくように導くのだが、現実を知らない理想論を打ち砕いて地に足をつけながらもまた理想論へと収斂し、安っぽいヒューマニズムを否定しながらもまたベタなヒューマニズムへと着地するいつもの作りで、「未熟な」登場人物と共に読者まで高齢者に振り回され、つくづく高齢者と付き合うのは大変だと思わされる。

・高齢者と一口にいっても、一人の人間として皆それぞれ違うバックグラウンドを抱えている人生の偉大な先輩としてリスペクトされるべきであり、また我々の未来像でもあるということを真摯に考えながら向き合うべきだと主張されているのだが、結局はお前たちは高齢者の自尊心を傷つけてはならないが、高齢者がお前らの自尊心を傷つけることには寛容になれ、高齢者のことを理解し、手足となれという無限に寄り添い続けさせようとするだけの構成になっているのが辛い。

・そもそもその孤独死(作中では孤立死と言い換えられている)をさせてはいけないと気にかけてもらえる一人暮らしの偉大な高齢者様達は自身が若いころに同じように高齢者のサポートに骨身を削ってきたのかという疑問がわく。それが嫌だったから今の高齢者達はかつて「夢のニュータウン」と持て囃された若者だらけの活気ある団地に移り住んできたわけだろう。高齢者の夢を継続させてやるのが若者の夢だと無理に繕うから、却って教科書的になってしまっているのが残念な回だった。
                 
        

ヘルプマン!9巻

                 
ヘルプマン!(9) (イブニングKC) ヘルプマン!(9) (イブニングKC)

・介護福祉学生編。介護の資格が無いと介護の仕事が出来なくなる? そんなわけがない、人手不足が慢性的に続く現実を見れば、資格がないから働けなくなるということはありえないと見事に看破してみせる百田太郎だが、周囲はやっぱり資格が無ければと百太郎を説得にかかる。制度なんて糞くらえと強がっていた百太郎も自分が何も出来ないまま祖母が死んだことで考えを改めるようになっていく。

・資格取得のために苦手な勉強に取り組む百太郎。一方、現場(現実)を知らず、机の上で理想論を振りかざす授業を受けてきたちゃらんぽらんな福祉の専門学校生をそんな百太郎の対比として登場させ、理想論から現実ブローで落ち込みからのー、百太郎の現場のプロによる明るい介護(新しい理想)で復活、という結局お馴染みのパターン。でも、若い学生のやる気の無さ(仕方なく入った場所としての福祉専門学校)と彼らを受け入れる教育機関と、そんな教育機関の生徒を実習生として受け入れる側の施設とのそれぞれの意識のギャップなどはリアルで今回のエピソードならではのオリジナリティがあったのではないだろうか。

・『おひとりさまの老後』のフェミニスト上野千鶴子が巻末で、結局みんな醜態晒してでもも生きたがっちゃうんだよねーと解説を書いていたが、誰かの世話にならざるを得ない我々の老後、漫画で描かれた些細なミスが大事故に繋がるからどうしても空気がぴりぴりしたものになる老人福祉施設の過酷な現場は、百太郎的な、それこそ宗教のようなもので考えを改めさせないと明るくならないというのがなんとも切ない。
                 
        

ヘルプマン!8巻

                 
ヘルプマン!(8) (イブニングKC) ヘルプマン!(8) (イブニングKC)

・ケアギバー編。ケアギバーとは介護士のことを英語で外国風に表現した用語で、今回のエピソードでは外国人ヘルパーがテーマとなっている。

・終始、日本人の親(家庭や家族)に対する冷たさ、そして外国人という存在に対する根深い偏見や差別などへの批判がこめられた展開になっており、あくまで本作としては外国人ヘルパーという存在にポジティブであったのが特徴的だった。センシティブな問題なので、突っ込んだ描写が難しいのかもしれないが、個人的には文化的背景の違う外国人だからこそ起こりうる諸問題についてあえてネガティブにあげつらった描写もあって良いのではないかとは思った次第。

・外国人の医療福祉職に対して、日本に於いてはとても高いハードルが課せられており、それを乗り越えるために必死の努力をしているから外国人ヘルパーは問題がないどころか日本人と比べてむしろ質が高い面もあるという描き方は、じゃあ今後既定路線となっており、本作でも訴えているハードルを下げた暁にはどうなるのだろうと、読者として意地悪く言ってみたくなるほど今回は隔靴掻痒の感があったのが正直なところ。

・親を老人ホームに預けることを悪いことだと捉えない一方で、それが重度の認知症であっても結局自分達で見られるうちは自分たちで面倒を見るという結末を美化的に持っていくあたりがこの作品らしかったし、またこれからの国としての方針にもなるのだろう。ある種、太宰治的な意味での世間を見ているようでもあった。

・ところで、今回のエピソードでは百太郎や神埼といったお馴染みの面々が全く登場しなかった。そのことで却って地に足がついたという印象なのだから、なんとも皮肉である。
                 
        

ヘルプマン!7巻

                 
ヘルプマン!(7) (イブニングKC) ヘルプマン!(7) (イブニングKC)

・介護支援専門員編パート3。神埼達がビジネスライクでしか物を見ることが出来ない企業や融通の利かないお役所や硬直した制度に対して反旗を翻し、独立する。

・あくまでサービスを利用する高齢者とその家族の視点に立ち、困っている人達に寄り添い続ける神埼達のひたむきな想いはやがて彼らを取り巻く様々な障害を乗り越えていき、最後にはきちんと報われるというハッピーエンド的に結ばれている。

・介護現場の酷い有り様については、自分が実際に介護される身にならないと分からないと企業のトップとして自信満々に福祉事業のサービス設計に携わってきた女性を比喩的にターゲットにしており、営利目的で福祉サービスに携わることの限界まで併せて描写されていた。

・ただ、高齢者の救済を第一に考えて主人公というヘルプマンのロールモデルを動かしている内に、自分の生活のために仕方なく福祉業界で働く人たちの環境についての描写がやりがい搾取的におざなりにされ、ミクロな視点で主人公のようなプライベートを捧げて身を粉にする奉仕精神溢れた出来過ぎた人間にしかとても務まらないような福祉モデルをぶち上げているところや結局最後は地縁でありその人が積み上げてきた徳に頼らざるを得ないところにこの問題が含有するコミュニケーションの大切さとそれが意味するところの厳しさが表れていたと思う。

・それでも、精緻な取材と深い論考に基づいて製作された本作、効率を追い求める儲け主義でもなければ、単純に商店街的な温かみのあるネットワークを至上とする懐古主義的なあるいは家制度的なそこでもない、第三の道として福祉の事業化・サービス化を前向きに捉えているのは読んでいて勇気づけられるのである。
                 
        

ヘルプマン!6巻

                 
ヘルプマン!(6) (イブニングKC) ヘルプマン!(6) (イブニングKC)

・介護支援専門員編パート2。グループ会社の利益のために全てが繋がっていた事業所の癒着構造とそこで働く職員が営業マンにならなければならない資本主義然とした冷たさに利用者本位に立ち返ったケアマネ神埼仁が立ち向かう。

・系列会社の立場を考えず、あくまで利用者のことを一番に考えてサービスの取捨選択を行い、プランを立てる仁のやり方は、しかし、一方で金を稼がないとやっていけないという現実が立ち塞がる。拝金主義的に描写されていた存在もやがて実は介護事業者と従事者に冷たい政治に翻弄されているという視点から論じられるようになり、今までの巻の中で綴られてきた内容と重なっている既視感の印象でもあるが、確実に厚みを増し、骨太になってきている。

・ただ、専門性と複雑さもより増してきており、また出口の見えないその鬱屈した雰囲気が人によっては若干読み辛さを覚えるものになっているのではないだろうか。ゆとりがないと人は優しさを維持できないというのがよく伝わってくるのだが、読者のゆとりまで奪い取ろうとしてくるのだからおっかない。

・今回のエピソードでハッとさせられたのは、介護は大変できついけど、そればかりではなく、嬉しい事や喜びも見つけることができるということ。そして、すっかり長いものに巻かれてしまった中間管理職の悲哀を感じている人たちも福祉の業界に入ってきたばかりの若いころは「この無間地獄にどこまで光を当てられるかやってみないか」という熱い志をもっていたという福祉の業界の因果な側面を表した描写だ。

・このパターンの因果で思い出すのがあの巨乳ヘルパー。せっかくの神埼編なのにあの巨乳ヘルパーがいないというのはちょっと寂しい。
                 
        

ヘルプマン!5巻

                 
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・介護支援専門員編。つまりケアマネージャー編。

・高校の時に百太郎と同級生だった仁くんが主人公のエピソード。高校を中退して介護の世界に飛び込んだ彼はもう24歳になっていた。それでも介護の世界ではまだまだ若い年。仁といえば、施設の副施設長まで務めたやり手であったが、現場のことを理解しようとしないケアマネージャーの態度と粗い仕事ぶりに腹が立ち、だったら俺がケアマネやってやるよと立ち上がったところからこの介護支援専門員が幕を開ける。

・てか、表紙の鬼の形相をした人物、どこのヤクザか格闘家かと思っていたらこれ仁くんだったのか……。

・どいつもこいつもバカばかりだという仁くんのモノローグがいきなり流される。あー、これ仁くんが主人公じゃなくて作品が闇金ウシジマくんとかだったら絶対一回は地獄を見せられるフラグだと思ったら、仁くんもしっかりとケアマネの現実という非情な洗礼をたっぷりと浴びておりました。作者、いい趣味してますね。

・抱える人数が多く、とてもじゃないが一人一人の利用者に対して親身になって細やかなケアプランを考えていては時間が足りなすぎるという状況からやってくる激務に耐え切れず、仁ほどの人間が心を折って、かつて自分が蔑んだ冷たいケアマネと同じになってしまう。

・でも、そこはヘルプマン。このままでいいのかと仁くんは利用者に対しての最善を自分で模索して動き出していくんですけどね。ただ、介護ベッドを使わないことは利用者にとってはプラスになっても契約した福祉器具を取り扱う業者にとっては損をしてしまうことになるなど、様々な存在が抱える利害による軋轢が仁に襲いかかる。このあたりの調整役としての中間管理職的な苦悩を仁は乗り越えくることが出来るのか。なんか、お前が介護される立場になった時に同じことがいえるのかとか仁くん、キレてたけど。

・個人的には現場は良かった的な描写が気になるところではあった。現場の人間でケアマネになりたいという人は多いからその人達に向けてのメッセージなのかもしれないけれど、確か仁くんが勤めていたのって特養だったはず。その特養では一人一人に寄り添った介護が出来たという回想描写に違和感を覚えた人は少ないだろう。介護の現場で働く人がかなり増え、またそれだけ介護サービスが身近になり、それを利用する人が多くなった現在では特に。
                 
        

ヘルプマン!4巻

                 
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・高齢者性問題編。

・高齢者の笑顔を求めて主人公の百太郎は今日も走り回っていたが、実は彼、あちこちの施設をクビになっており、現在はグループホームで働いていた。

・その理由は、今までのエピソードから読者としては薄々わかっていたことではあるのだが、彼は理想を追い求めるあまり、利用者の視点に立ちすぎ、先走った行動から職場をかき乱していることだった。同僚や上司との連携がうまくいかず、利用者の家族にも大きな不安を与える彼の行動は、しかし、作者にとってはマニュアル重視の介護のアンチテーゼとしてまさに主人公たるにふさわしい人物として描かれているのだが……。

・主人公が問題を投げかけて波紋を広げるというよりは、マンガやドラマにありがちな主人公が正しかったことを結果論的に証明することで彼に対して批判的だった周囲の人たちに恥をかかせて力技で改めさせていくという展開が鼻につくところではある。ついでにいうと、あらゆる人にある迷いや狭量さ、一巻の頃の主人公にもあったもの、それが今では主人公からだけ抜け落ちているのがとても不自然で人間らしくないのがどうしても気にかかるところだ。

・今回のテーマは高齢者の性。生きがいのない高齢者にもう一度性に積極的になってもらうことで活力を取り戻してもらおうと百太郎さんが爺さんをけしかけて婆さんに股を開かせたりする。そしてそれが、実際に爺さんと婆さんに輝きを取り戻させたりする。

・女は灰になるまでという言葉があるが、爺さん婆さんになっても性欲はあるし、性を楽しむ権利はあると本作は主張している。もちろん、介護をする側としてはそんなおおっぴらに性に積極的になられても困惑してしまうわけで、嫌悪感もありそれがどうしても受け入れられないとなるわけだが、本作では特に年配の世代に多い女の性に対する保守的な価値観と併せて強くそれらを批判していた。

・ただ、それを批判するために、女性だって嫌なら拒むことが出来るはずだという主張がぶつけられ、主人公が先導してやっていることが、女性職員へのセクハラや異性の利用者への夜這いの肯定であったり、男の裸が見られて喜ぶだろうという安易な考えのもとに女性利用者が使っている風呂への乱入であるのだから、それらは間違いなくセクハラだろうと首をかしげてしまう。
                 
        

ヘルプマン!3巻

                 
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・介護虐待編。

・元エリートの父親に厳しく育てられたやや元エリートの息子が早期退職制度で会社を辞める羽目になり、女房にも逃げられ、生家に戻ってくるが、そこで目にしたのは昔自分を躾けた父親のひどく衰えた姿だった。老いて威厳がすっかり失われた父親であったが、自尊心の高さは相変わらずで、福祉の世話になることを強く拒み、排泄もおむつではなく、トイレですることにこだわっていた。

・そんな父親の世話に四苦八苦する母の姿を見かねて息子が介護の手伝いをしようとするが、夜中にトイレの世話で何回も起こされるなど、そのあまりにも厳しい現実にわずか一日でぐったりと疲れ果ててしまう。

・追い打ちをかけるように頼みの綱の母親が入院してしまうと息子は父親に強制的におむつを穿かせるなど実力行使で自分の生活を守ろうとする。しかし、自尊心をひどく傷つけられた父親は息子の自尊心を傷つけるようなことを口にして激しく抵抗する。追い詰められた状態で自分の自尊心を傷つけられた息子はとうとう父親に対して荒っぽい対応をするようになり、「虐待」とみられるような行為にも走り出していく……。

・テーマとしては、介護される側の尊厳と介護する側の尊厳のぶつかり合いになっており、息子が自棄を起こすとそれと鏡写しのように父親が廃人となる描写から、介護する側ももちろんだが、介護される側も単に拘束して寝たきりにしておけばいいのではなく、自尊心や気力といったものを維持してもらうことが重要であることが伝わってくる。

・とはいえ、じゃあ介護する側の気力はどうすればといったところで、プロ、つまり介護士が登場するわけだが、現実ではその介護士自体が漫画のようにすぱぱーんとなんでも解決してくれるスーパーマンではなく、やはり同じ介護する側の人間ということに起因する問題があるわけで、この漫画、家庭内介護についてはすごくどろどろと暗くそしてリアリティと迫力のある描写をし続けるのに、それを解決するためにプロの介護士の力を借りましょうといった場面から急に演出が飛躍しすぎて地に足がつかなくなるのが気になるところだ。
                 
        

ヘルプマン!2巻

                 
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・在宅痴呆介護編

・認知症の爺さん(義父)の面倒を母であり妻である女性が押し付けられている一家にスポットが当てられる。あまりに厳しい介護の現実に悲壮感を漂わせるしかない家族だが、介護保険制度を知り、ヘルパーの助けを借りることが出来るようになる。しかし、問題行為の激しい爺さんはデイサービスやヘルパーに受け入れを断られるようになってしまう。

・介護のせいで一家崩壊の危機に陥るが、そこに突如として現れたのが今まで影を潜めていた本作の主人公。老人へのリスペクトと慈愛の精神、そしてプロの技量で爺さんに光をもたらすだけでなく、介護に苦しんでいた家族にまで再び笑顔をもたらすことに成功する。いつの間に主人公はスーパーマンになったのだ。

・介護で過労やノイローゼになり、家庭が崩壊の危機を迎えるところはあまりに凄惨だが、1巻同様のリアリティと迫力があった。しかし、介護は誰かが犠牲にならなければならないというメッセージを否定するために家族の一員の面倒を介護士に任せるという選択肢と理想主義を重ねあわせているところが気になった。その介護士たちは、薄給でこの一家がとても手に負えなかった老人の介護に笑顔を作りながら、心を鬼にしてこなさないとならないわけで、家族は救われたけど、代わりに介護士が犠牲になっているという見方も出来るのではないかということには触れられていなかったのは気になった。
                 
        

ヘルプマン!1巻

                 
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・介護保険制度編

・主人公、高校を中退して介護士となる。やめろ、高校は卒業しておけというツッコミは無粋。これはメタファーで、実際に高校を中退していなくとも、介護の現場で働いている人はどこかから流れてきた訳ありな人が多いのだろう。

・超高齢社会を迎え、介護保険制度が始まった頃に連載がスタートした漫画とのこと。介護業界を日本を救う成長産業と位置づけてバラ色の将来を夢見る存在と、そんな夢はとっくに醒めて辛い現実に向き合う介護従事者の対比にリアリティがあって面白い。

・人手不足は現在でも変わらず、受け皿の大きい業界だが、生産性が低く、価値を生み出すのが難しいので、どうしても限られた人員配置になってしまい、人を使い潰すように忙しく動きまわらせ続ける。本作は介護の現場の厳しさを伝え、ところかまわず糞尿を垂れ流し、しゃべる内容も理解が難しい認知症の高齢者相手に身を粉にしながらまるで工場のライン作業のように憂鬱なルーチンワークをこなす若者の姿が描かれているが、その一方で、激務の合間合間に利用者のことを考えた優しさをさりげなく挿入していく若者たちの姿も演出されており、それが感動を誘う。

・家族が面倒を見るのを放棄するほど壊れていく人たちの世話をみていくなかで、自分たちまで壊れていきそうになりながらも必死で抗おうとするその姿は、形はどうあれ、誰もが高齢者に向き合わなければならない日本社会そのものを表しているようだった。
                 
    
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