Nのために (小説 湊かなえ)

                 
Nのために (小説 湊かなえ) Nのために (双葉文庫)
超高層マンションの一室で、そこに住む野口夫妻の変死体が発見された。現場に居合わせたのは20代の4人の男女。
それぞれの証言は驚くべき真実を明らかにしていく。

野口夫妻の死を巡り、取り調べやインタビューを受ける形で証言をしていくイニシャルNの人々。それぞれの証言の内容からイニシャルNである彼ら一人一人の背景や考え方が事件に結びついていることが次第に明らかとなる。人が何かをするのには何らかの理由があったとしても、それを理解するのにはその人の生きた長い時間の物語全てを受け入れる覚悟が必要で、たとえ覚悟があったとしても理解できるかどうかは分からないことがN達の一方通行で不器用な優しさや思いは示唆しており、また普通の人というものは存在せず、普通の人に見えても誰しもが他人とは違う重い何かを抱えて生きているということなのだろう。
                 
        

贖罪 (小説 湊かなえ)

                 
贖罪 (小説 湊かなえ) 贖罪 (双葉文庫)
15年前、静かな田舎町でひとりの女児が殺害された。直前まで一緒に遊んでいた四人の女の子は、犯人と思われる男と言葉を交わしていたものの、なぜか顔が思い出せず、事件は迷宮入りとなる。娘を喪った母親は彼女たちに言った──あなたたちを絶対に許さない。必ず犯人を見つけなさい。それができないのなら、わたしが納得できる償いをしなさい、と。十字架を背負わされたまま成長した四人に降りかかる、悲劇の連鎖の結末は!?

同級生が殺害された事件をきっかけにその後の人生の歯車が狂ってしまう4人の少女たちと被害者の母親の様がそれぞれの人物の告白という形によって綴られている。少女たちが被害者の母親から犯人を見つけるか償いをしろと責められたことで過剰に思い悩み、幸せになることを拒絶していくシーンは印象的だった。多感な少女や殺人事件を用いて象徴的でセンセーショナルに描かれているが、人は様々なことに影響を受けるし、また与えることが出来てしまうということを考えさせられる構成である。

閉鎖的な田舎町に引っ越してきてうまくやっていけずにいた母親の側の背景やドラマも描写されており、犯人の人物が母親の側の人生に深く関わっている存在であったことが明かされる結末は、母子の関係や家族、そして男女の性といったものに対して田舎町の閉鎖性と重ねることで皮肉られており、同時に罪の意識とそれを植え付ける道徳というものへの嘆きでもあるようだった。ただ、それぞれの登場人物の姿とドラマはややステレオタイプで陳腐なきらいがあり、それほどの斬新さや不気味さを感じなかったのは残念。
                 
        

女生徒 (小説 太宰治)

                 
女生徒 女生徒
「無頼派」「新戯作派」の破滅型作家を代表する昭和初期の小説家、太宰治の短編。初出は「文學界」[1939(昭和14)年]。5月1日の起床から就寝までの少女の一日を描いた話で、少女の心理の移り行く様を丹念に写し取っている。当時、文芸時評を担当していた川端康成は、「「女生徒」のやうな作品に出会へることは、時評家の偶然の幸福なのである」と賛辞を送った。

太宰治が女生徒の一人称視点を用いて一日の生活を綴った作品で、事ある毎に思索に耽る少女が取り留めもなく心境をコロコロと変えていくさまに読者としては振り回されてしまう。女性であることの葛藤を抱えながら、自身もまた同性である女性に対して厳しい視線を向けるなど、掴みどころのない人間の奥行きや心根の怖さが軽やか筆致の中で伝わってくる。何とも乙女チックでありながら人間の厄介さを少女の厄介さに落とし込み、ストーリーとして中性的に品よく描いてみせる様に太宰らしさと凄みを感じさせた。
                 
        

ぎやまん物語 (小説 北原亞以子)

                 
ぎやまん物語ぎやまん物語 (文春文庫)
秀吉への貢ぎ物としてポルトガルから渡来したぎやまんの手鏡が、於祢やお茶々、お江、尾形光琳や赤穂義士らの心模様を写し出す――。

ポルトガルから渡来したぎやまんの手鏡が様々な歴史上の重要人物の手へと移りながら彼らの浮かべる表情と背景の物語を読み解くという設定になっており、ねねから始まって茶々にお江、そして赤穂浪士などのエピソードが綴られている。しかし、どうにも俗っぽく、身近な場所で人間の素の一面を映し出す役割の角度から見ているので仕方ないのかもしれないとはいえ、色恋や枯れかかった女性の悲哀や嫉妬などワイドショーや昼ドラ的な視点で切り取られている感が否めない。

勿論、そういった話ばかりではないのだが、赤穂浪士などに比べて、ねねや茶々、そして側室を持つことを許さなかったお江に対する観察眼からは並々ならぬ情熱が伝わってくる。総じて同性には細かい部分まで厳しく見て、異性の弱い部分には甘いという女性作家のコンプレックスのようなものが表れており、それが良い方向に作用するのではなく、映像化したらお約束のように駄目な邦画の仲間入りをしてしまいそうな内容になってしまっているのが残念だった。
                 
        

死神の精度 (小説 伊坂幸太郎)

                 
死神の精度死神の精度 (文春文庫)
CDショップに入りびたり、苗字が町や市の名前であり、受け答えが微妙にずれていて、素手で他人に触ろうとしない―そんな人物が身近に現れたら、死神かもしれません。一週間の調査ののち、対象者の死に可否の判断をくだし、翌八日目に死は実行される。クールでどこか奇妙な死神・千葉が出会う六つの人生。

死神を主人公にした、それぞれカラーの違うバラエティーに富んだ六本の短編が収録されている。「仕事」のために人間界を訪れ、人間に扮した死神の目を通すというユニークな設定を用いて、伊坂幸太郎らしい軽妙な筆致で人生というものを綴られており、センスが光るものになっていた。

人間には興味がないとクールに言い放ちながら、その実興味津津なのではないかと思わせ、どこかズレていてそれが人間味を醸す死神の主人公が人間の生殺与奪を握るものの、それに関しては悩む風でもなく、淡々と役割をこなしていく様が文体と合わさってユーモラスで、可笑しい。エピソード間のリンクにより、最後まで読み終えた時に、そこで明らかにされた一人の人間の一つの大きな物語は、人生という旅を続けることに対しての作者からのエールを貰ったような気恥ずかしいけどどこか心地のよい気分にさせてくれる。
                 
        

アヒルと鴨のコインロッカー (小説 伊坂幸太郎)

                 
アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)
ボブ・ディランはまだ鳴っているんだろうか?
引っ越してきたアパートで出会ったのは、悪魔めいた印象の長身の青年。初対面だというのに、彼はいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけてきた。彼の標的は――たった1冊の広辞苑!? そんなおかしな話に乗る気などなかったのに、なぜか僕は決行の夜、モデルガンを手に書店の裏口に立ってしまったのだ! 清冽な余韻を残す傑作ミステリ。第25回吉川英治文学新人賞受賞。

軽妙な筆致で現在と二年前(過去)を交錯させている伊坂幸太郎の推理小説。

河崎という浮気性の男を日本語の師匠にしているブータンからやってきた留学生のドルジは河崎の元カノである琴美と恋人の関係にあった。しかし、世間を賑わせていたペット惨殺事件に首を突っ込んだ結果、琴美は殺されるような形で死んでしまい、犯人達に対してドルジが復讐を企てるというプロットになっていて、話自体は大それたものではないのだけども、それまでカタコトでしか日本語を話せなかったドルジが完全に日本人コミュニティの中に日本人として溶け込んでしまうほどの流暢な日本語を身につけるまでの心境や、琴美の元カレで他者にHIVを感染させてしまった事を気に病んで自殺した河崎を名乗ることの覚悟などを考えてみた時に、復讐の中身がユーモラスでソフトであったらこそ余計に哀愁が伝わってくる。

琴美はやはり河崎が好きだったのではないかとドルジが悩んだ節もあるのではないか、またドルジが死者の存在(過去)にそれほどまでに執着して縛られていることは河崎と同化して日本人になったからこそなのだろうか、などと思いを巡らせてしまったりもするのだが、それはさておき、最後のどんでん返し、つまり現在における河崎とはドルジのことであったというミスリードを用いたオチに多くのことを凝縮して委ねすぎているという印象を抱いてしまう作品の出来そのものについては賛否の分かれるところだろう。
                 
        

きまぐれロボット (小説 星新一)

                 
きまぐれロボット (角川文庫)きまぐれロボット (角川文庫)

ショートショートの名手と呼ばれる星新一が昭和40年前後に朝日新聞・日曜日版に童話として掲載していた、主には博士による発明品とそれが齎す不思議な効果が人間の手によって予期せぬ事態を招くといった構成のSFテイストの作品が多数収録されており、どのエピソードも寓話的で「大人のドラえもん」的な楽しさがある。

ただ、あくまで想定している読者が子どもということだからか、人間や人間が作る社会への皮肉り方、またオチのキレや深み、余韻などが意図的に抑えられているのが行間から伝わってきて、読みやすさ重視の作品に仕上げられているようであった。逆説的にいえば、その背景や作品に込められた哲学などのメタ要素までを考えた時に「大人」として子どもに接する立場に向けて別の角度からカジュアルに堪能して欲しいという趣向になっているようにも受け取れるのだが。
                 
        

世界から猫が消えたなら (小説 川村元気)

                 
世界から猫が消えたなら (小学館文庫)世界から猫が消えたなら (小学館文庫)
郵便配達員として働く三十歳の僕。ちょっと映画オタク。猫とふたり暮らし。そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。絶望的な気分で家に帰ってくると、自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。その男は自分が悪魔だと言い、「この世界から何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得る」という奇妙な取引を持ちかけてきた。僕は生きるために、消すことを決めた。電話、映画、時計…僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。二〇一三年本屋大賞ノミネートの感動作が、待望の文庫化!

余命がわずかであることを宣告された郵便配達員として働く主人公の僕が目の前に突如現れた悪魔と世界から何かを消す代わりに一日だけ余命を伸ばすという取引をするというストーリー。

主人公の考えた世界から消しても良いものが悪魔によって実際に消されていくと日常の生活から趣がなくなり、どこか隙間が出来たような感覚に陥る。これと悪魔との軽快なやりとりを繰り返しながらやがて主人公は自分の死を受け入れられるようになり、元恋人や父親との関係の改善に繋がっていく。

何かを失うことを繰り返していき、やがてこの世界に消えて良いものなど何もないということを悟る。逆に今まで消してきたものと同様に自分という存在が消えることで誰かに何かを与えられるかもしれないと誰もがいずれは迎える死とそして別れへ肯定的なメッセージと勇気を与えており、だからこそ生きている時間は大切にしようと生の重要性が訴えられた賛歌に仕立てあげられていた。

ライトノベルのような軽いノリで詩的に綴られた本作は、薄いテーマ性を更に無理やり引き伸ばしたかのような印象で読者としてどうも居心地が悪い気分にさせたし、これが本屋大賞を取っている事実は自分にとって本屋大賞というものがあまり価値のないものと定義されてしまったが、ただ深みがないからこそ素直にメッセージを受け止められるし、世界に入り込んでいくことが出来るとも云える。行間や登場人物の言動の裏を過剰に読み解こうとしなくていいし、誰に対しても疑心暗鬼にならずに気を許して思いの丈をぶつけてもいい優しい世界が目指された本作に癒やしを得た人も多いことだろう。
                 
        

上杉謙信 (小説 吉川英治)

                 
上杉謙信
謙信を語るとき、好敵手・信玄を無視することはできない。精捍孤高の武将謙信と千軍万馬の手だれの武将信玄。川中島の決戦で戦国最強の甲軍と龍攘虎搏の激闘を演じ得る越軍も、いささかもこれに劣るものではない。その統率者・謙信と彼の行動半径は――?英雄の心事は英雄のみが知る。作者が得意とする小説体の武将列伝の1つであり、その清冽な響きは、千曲・犀川の川音にも似ている。

第四次川中島の戦いに焦点を当てて描かれた吉川英治の上杉謙信。

上杉謙信を語ることは川中島とライバル武田信玄を語ることであるというその割りきった構成のドラマは、様々な名脇役の活躍もあってなかなかに熱いとはいえ、堪能するには背景を含めた予備知識的なものなどを踏まえた上で、行間から様々なものを読み取る必要性がありそう。生まれてから死ぬまでの一生ではなく、ある局面、躍動していた時期を切り取って上杉謙信という人物を象徴的に描写している。有名な「敵に塩を送る」のエピソードもあり。
                 
        

蟹工船 (小説 小林多喜二)

                 
蟹工船蟹工船
虐げられる労働者たちの闘争を描くプロレタリア文学の代表作

船でもなく、工場でもない――「蟹工船」。戦前、オホーツク海上で行われた「たらば蟹」の加工設備を備えた漁船。そこは、航海法や工場法に適用されず、さらには労働法規もない。まさに海上に浮かぶ過酷な労働の場だった。劣悪な環境の中、監督による暴力・虐待、過労や病気で次々と倒れてしまう。労働者はやがて権利意識に目覚めてゆく――。
本作は、小林多喜二によって描かれた小説であり、プロレタリア文学の代表作のひとつです。また、国際的な評価も非常に高く、複数の言語に翻訳されている作品です。

蟹工船という現代でいえば都市伝説的な意味での「マグロ漁船」をイメージさせる劣悪な労働環境の下で働かされる労働者達が過労や病気で倒れ、中には命を落としていく者も珍しくない中で、労働者達が団結して資本家と国は守るが自分たちを守ってくれない軍隊、そして同じ労働者であるはずなのに資本家の手先となって労働者を苦しめる監督に対して反旗を翻していくという話。

プロレタリア文学と呼ばれるだけあって、共産主義に親和的で都合の良いイデオロギー臭を感じさせるものの、1929年に発表されたこの作品が21世紀になってブームを巻き起こしたのは、単に我々が「ブラック企業」なる言葉を生み出し、日本の労働者が置かれている立場と環境に疑問を抱き、ワークライフバランスについて真剣に考え出したからと云われているが、この作品自体、登場するほとんどが自力ではどうにも抜け出せないほどのひどい貧困層の学もない者達で構成された集団であっても、団結して交渉して行動するという労働三権を行使して闘争繰り広げることができ、勝利を掴み取ることができるという過程に作為的なものがないと表面的には取り繕われており、つまり労働三権は睡眠や食欲と同じように人が生きるために自然に生まれるものなのだという流れに説得力を感じ取れるほどのクオリティではあった。

そこに込められたメッセージはまた、労働者は団結して戦わなければならず、そうすることで均衡が保たれ、労働者の平穏な生活が守られるというものであり、逆に言えば行動しない者に対しては厳しいものであるようにも受け取ったが、黙っているばかりではいいようにされてしまうのは、何も労働の現場だけではなく、政治も同じであり、窮屈さを感じるものの、残念ながらそれが民主主義というものなのだろう。それにしても面白いのは、これをプロレタリア文学が主張していることだが、逆説的だから故に共産党を信用してみようという考えに到れるのかもしれない。個人的にはこの本を読む限り、思想的に「自由」がどこにもないので、これで共産主義に傾倒しようという気にはなれないのではあるが……。
                 
        

慟哭 (小説 貫井徳郎)

                 
慟哭 (創元推理文庫) 慟哭 (創元推理文庫)
連続する幼女誘拐事件の捜査は行きづまり、捜査一課長は世論と警察内部の批判をうけて懊悩する。異例の昇進をした若手キャリアの課長をめぐり、警察内に不協和音が漂う一方、マスコミは彼の私生活に関心をよせる。こうした緊張下で事態は新しい方向へ!幼女殺人や怪しげな宗教の生態、現代の家族を題材に、人間の内奥の痛切な叫びを、鮮やかな構成と筆力で描破した本格長編。

連続幼女誘拐事件を捜査する捜査一課長の佐伯と、新興宗教にはまっていく異常者としての「彼」、双方の視点を交互に描きながら、「二人」が抱える懊悩に深く迫った本格長編で、叙述トリックを用いながらも、それに頼りすぎず、警察内部の軋轢や不協和音、そして新興宗教の実態がリアルに描写された背景とそこに配置された人物の動かし方に不自然さが全くないことが世界観を確かなものにしている。

読んでいて考えさせられたことは、人間の一つの行動の裏には様々な思いや考えが込められており、目には見えない複雑な背景が存在しているということだろうか。かつて新興宗教にはまりようもない人間であったとしても、ふとしたきっかけで胸に穴が開いたように隙が出来れば、藁にもすがる思いであっけなく宗教にのめり込むこともあるし、親の子どもへの愛情や執着は他人の子どもを殺すほどの狂気に走らせるほど強いというメッセージ性が読者に突き刺さる。

そして、1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというハインリッヒの法則よろしく、一つの大事件の背後には子を失った親の悲しみや怒りといった感情だけではなく、親という一人の人間の背景として仕事のストレスや家庭の悩み、そして親自身の生い立ちに纏わる複雑な家庭事情やコンプレックスなど様々な要素で構成されており、不倫をしていたことや家庭を顧みないことで娘に嫌われていたことへの悔恨や懺悔を含め、容易に単純視することができない。そうさせないところが本作の魅力であり、人間の魅力でもあろう。
                 
        

ある閉ざされた雪の山荘で (小説 東野圭吾)

                 
ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫) ある閉ざされた雪の山荘で (講談社文庫)
1度限りの大トリック!
たった1度の大トリック!劇中の殺人は真実か?
俳優志願の男女7人、殺人劇の恐怖の結末。

早春の乗鞍高原のペンションに集まったのは、オーディションに合格した男女7名。これから舞台稽古が始まる。豪雪に襲われ孤立した山荘での殺人劇だ。だが、1人また1人と現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの間に疑惑が生まれた。はたしてこれは本当に芝居なのか?驚愕の終幕が読者を待っている!

東野圭吾のミステリー小説。

舞台稽古のために乗鞍高原のペンションに集められた7人の男女。役者である彼らが雪に閉ざされた山荘で殺人劇に巻き込まれていくというミステリ素人の自分でも散々触れたことがありそうなベタなプロットになっているが、そこは人気作家の東野圭吾、その殺人劇が舞台稽古なのか、それとも本当の殺人劇なのか、誰が犯人なのか、誰が仕組んでいるのか、登場人物にも読者にも最後まで頭を悩ませるような絶妙な仕掛けが随所に施されていて退屈することがなかった。

更に、ある登場人物の主観と神の視点の使い分けもきっちりとギミックとして活用し切るなど著者の作家としての才能に脱帽してしまうこと頻りである。

惜しいと感じたのは、あまりに展開ありきのギミックに凝りすぎていて、却って登場人物に対する表情の描写がおざなりになり、そこに対して種明かし的なフォローが存在するものの、彼らが駒であるとか人形であるような能面さや平坦さが生まれてしまっていることで、読んだ後の余韻が少々弱かったことだ。

もっとも、人というのは常に演技をしている生き物であり、視線を感じる先によってロールプレイの仕方が違うという意味が込められたような行間はとても味わい深いものであった。
                 
        

近鉄特急 伊勢志摩ライナーの罠 (小説 西村京太郎)

                 
近鉄特急 伊勢志摩ライナーの罠 (ノン・ノベル) 近鉄特急 伊勢志摩ライナーの罠 (ノン・ノベル)
熟年雑誌の読者モデルをつとめる鈴木夫妻が失踪した。楽しみにしていたお伊勢参りの旅に出かける当日、乗車予定の「のぞみ」に姿を見せなかったのだ。それどころか、二人の名を騙り旅行を続ける不審な中年カップルが出現。夫妻に何が起こったのか?捜索願が出されるが、直後、隅田川に他殺体が浮かぶ。遺体は伊勢路に現われたカップルの女性と判明。捜査に乗り出した十津川は、鈴木家で厳重に保管された円空仏を発見する。木彫りの仏像と事件に関わりはあるのか?謎を追って、十津川は伊勢志摩に向かうが…。

トラベルミステリーの第一人者、ミステリー界のあかほりさとること西村京太郎先生による十津川警部シリーズ。中身のほとんどが円空に対する薀蓄と根拠の弱いスカスカな推理で構成されているが、先生の作品の内容に対して深く突っ込もうとするのは、ギャルゲーで平凡な主人公がある日突然12人の妹が出来てウハウハ生活という設定のリアリティを真面目に議論するようなものでナンセンスなのである。

ただ、本作でスポットが当てられる日本の平凡な熟年夫婦のモデルとして雑誌に選ばれた鈴木夫妻が金に目が眩んであっけなく殺人者に転落してしまう様、その背後にちりばめられた芸術品への執着や人としての素朴な正義感、そして不況が生活に落とす影などの要素については考えさせられるものがあった。
                 
        

震える牛 (小説 相場英雄)

                 
震える牛 (小学館文庫) 震える牛 (小学館文庫)
警視庁捜査一課継続捜査班に勤務する田川信一は、発生から二年が経ち未解決となっている「中野駅前 居酒屋強盗殺人事件」の捜査を命じられる。初動捜査では、その手口から犯人を「金目当ての不良外国人」に絞り込んでいた。 田川は事件現場周辺の目撃証言を徹底的に洗い直し、犯人が逃走する際ベンツに乗車したことを掴む。ベンツに乗れるような人間が、金ほしさにチェーンの居酒屋を襲うだろうか。居酒屋で偶然同時に殺害されたかに見える二人の被害者、仙台在住の獣医師と東京・大久保在住の産廃業者。
田川は二人の繋がりを探るうち大手ショッピングセンターの地方進出、それに伴う地元商店街の苦境など、日本の構造変化と食の安全が事件に大きく関連していることに気付く。

震える牛というタイトルで勘のいい人は気づくかもしれないが、BSE問題を絡めた社会派小説。

ただ、BSEはエッセンス的な要素で、主題はショッピングモールの台頭による商店街の衰退と街の破壊を結びつけたものから組織と個人の関係にまで掘り下げられており、都内の居酒屋で起きた外国人によるものとみられる強盗殺人が実は大企業を守るためのエゴによるもので、そのエゴが安いものを追い求める消費者の利害と巧妙に一致し、マスコミや警察と癒着した権力によって暗黙知的に正義は闇に葬り去られそうになるのだが、主人公役の窓際刑事や女性ジャーナリスト達がそれに立ち向かうという構図の物語になっている。

しかし、対立構造が極端で、あまりに大企業を敵視するあまり、作品としては環境主義的でノスタルジーに偏りすぎているきらいがる。BSEや放射線に関する騒動で科学的に問題ない点にまで不安から騒ぐのを止められないヒステリックな消費者とそれを煽るマスコミなどを批判しつつも、本作自体が食品添加物を使うことで安価でそこそこうまい食肉加工品を消費者に提供することに成功している点に対して、まるでテレビショッピングの演出のように如何にもわざとらしく添加物がもたらす健康被害や加工現場の衛生面や企業倫理について、おぞましい事実を知ったかのように登場人物にショックを与えてみせて、心の悲鳴を上げさせるなど、読んでいてちょっと苦笑してしまう部分もあった。

とはいえ、あえて社会に問題を投げかけるためにこのような作りにしているのかもしれないし、それぐらい、この種の問題は大企業とは距離をおいて、個人という存在に寄り添わないといけないということなのだろう。作中の女性ジャーナリストが私怨であることを自覚しつつも、特定の大企業を敵討ちと称して糾弾するために取材や執筆の活動を続けるが、本作もまさに失われた何かの敵を討つための私怨がこめられているようであった。
                 
        

怪談の道 (小説 内田康夫)

                 
怪談の道 (角川文庫) 怪談の道 (角川文庫)
核燃料の取長で鳥取県を訪れた浅見光彦は、小泉八雲がかつて“地獄”と形容した宿で美人異父姉妹と出会った。浅見は二人に切実な相談を持ちかけられる。それは、妹の父親が突然の死を遂げた真相を究明することだった。録音テープに残された“カイダンの道”という謎の言葉を手がかりに、浅見は調査を開始するが、今度は姉の父親が何者かに殺害された!ふたつの事件に秘められた過去。浅見はやがて、三十年前に起きた悲劇に辿りつくが…。日本の風土を叙情溢れる筆致で描き、原発という現代の社会問題に鋭いメスを入れた文芸推理。

内田康夫の代表作、名探偵?浅見光彦シリーズ。

小泉八雲ゆかりの地で起こった怪事件に対して30代でソアラを乗り回すイケメンの独身貴族、ただし3流大学卒業で両親と兄夫婦と同居の居候状態というどこか抜けた肩書を持つところが人柄の良さやとらえどころのない不思議な魅力に現れていて読者や登場人物の心を掴んで離さない我らが浅見光彦が挑む。

浅見光彦といえば、僕なんかは実写ドラマで辰巳琢郎が演じているという記憶があるが、実際に小説を読んでみると、辰巳琢郎、まさにイメージぴったりという感じだった。それはさておき、本作では、昔の忌まわしき事件の亡霊が現代に甦って殺人事件を繰り返す、というホラー仕立てにしつつ、原発と人形峠のウラン残土という社会問題を絡めて物語が構成されている。この設定だけなぞると随分硬派なテーマを掲げていると感じるが、そこは2時間もののサスペンスドラマの原作としての高い実績を誇る本シリーズ。結局は、原発と学生運動から起きた男女関係のトラブルといったよく耳にするタイプの俗な展開に持っていくのだからさすがである。

ただ、放射能や原発の安全性やリスクが齎す様々な問題について、主人公の浅見光彦が原発推進派に対しても反対派に対しても耳を傾けた上で、中立でありたいと公平性を重んじた慎重な姿勢を貫き、それが犯人に対して振りかざした正義の刃を途中で収めて、曖昧模糊にすることで、必ずしも正義を押し通すことが周囲の人間を幸せにするわけではないという大人の結末に繋げているところは唸らされた。

ゲストヒロインとはいい仲になりそうで、結局距離をとるというのも浅見光彦の不器用な魅力が際立たせられていたし、赤川次郎などと違って中年男性の自尊心をくすぐって夢を見させるようなキャバクラ的ラブコメロマンスではないことが、作品に清潔感と透明感を与えているのも良い。
                 
    
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