さよなら原辰徳 栄光と悲劇の四番打者 (荘田健一)

                 

さよなら原辰徳―栄光と悲劇の四番打者
 数字的に見れば原の四番打者としての成績は立派な合格点となる。
 だが、あくまでさわやかで、いつも優しかったイメージが、どうしても非難の対象になってしまっていたのである。
 原はこんなことを言っていたことがある。
「今の時代、僕みたいなタイプはファンには受け入れにくいのかも知れないね。江川さんとか落合さんとか、ああいうアウトローのタイプの方がファンは支持するのでしょう。でも、これは僕が持って生まれた性格だから、どうしようもないんです」
 原は自分の置かれている状況をちゃんと自覚していたのである。
 それでも闘志を内に秘め、あくまでもスマートに、紳士の誇りを持ってプレーする姿勢を貫き通した。
 その姿勢がどれだけ素晴しいことか、ファンは原が身も心もボロボロになって引退していく時にハッと思い出したように気付いたのだった。
 思えば長嶋監督解任以来、ずっと暗い話題が多かった巨人の中で、唯一、昔ながらの巨人の「正しい」イメージを守り通したのは原だけだった。
 ファンを大切にし、言動に気をつけ、華麗なプレーを見せ、スマートに選手生活を送る。
 もう誰もできなくなってしまったこのスーパースターのイメージを原は守り通した。

(引用 本書P2-3)

僕がプロ野球を見始めた時、家は地上波しか映らなかったので、巨人戦しか観られず、プロ野球を熱く楽しむためには、巨人ファンかアンチ巨人になるのが必要だった。僕はアンチ巨人になった。それは長嶋茂雄監督によるFA宣言した他球団の主力選手を無節操に(見える形で)獲得する姿勢が嫌だったし、どんなに負けても巨人は常に地上波で試合が全国中継されている人気球団なのだから巨人と対戦する他の球団に勝ってもらった方が全体としては面白くなるんじゃないかと思っていたからだった。

そんな頃のそんな思いだったが、原に対しては悪いイメージはなかった。見た目が爽やかだったし、僕が野球に興味を持った時、選手としてはもう落ちぶれていたところで、それでも這い上がろうとしているという印象付けに好感を抱いていた。巨人という嫌いな球団であっても、かつてのヒーローが終わりを迎えつつあるとき、それが他の球団の選手とはまた違う特殊な感情として同情してしまうのは、僕がプロ野球を浪花節の高校野球と同じ感覚で観ているからというのと、やはりあの頃のアンチ巨人は、結局のところ、巨人ファンだったからなのだと思う。

本書は原辰徳を主人公に、全編通して徹底して彼を美化、擁護する格好で書かれている。選手時代の成績と監督時代の成績を見れば、原が野球人としては優れた存在だというのはわかる。

原が人間的にどうかというのは僕にはわからない。不倫や暴力団絡みのスキャンダルが引っかかるというのもあるが、あまりにイメージを作ることにこだわり過ぎているようでピンとこない。アイドルを見ているかのような違和感と心地よさはあるが、それが巨人のスーパースターというやつなのだろうか。巨人に対するこだわりを愛であると原も著者も表現しているが、それはスターであること、アイドルであることへのこだわりなのかもしれない。そして、その固く作られたイメージを誰よりも浪花節の高校野球ファンである僕が求めているのだろう。それがまた巨人に対する愛憎の念に繋がっていて、僕をアンチ巨人に駆り立ててしまう。愛され、憎まれるには、原のような存在は「巨人」という球団には常に必要なのかもしれない。
                 

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