しんぼる (映画)

                 
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メキシコのとある町。家族と幸せに暮らすプロレスラー、エルカルゴマンはいつもと変わらぬ朝を迎えていた。
しかしその日、妻は夫であるエスカルゴマンがいつもとは少し様子が違うことを感じていた。
それは今日の対戦相手がひと回りも年が若く、過激で有名なテキーラ・ジョーだということだけではなく“何かが起こりそう”な妙な胸騒ぎを感じていたからだった。一方、奇妙な水玉のパジャマを着た男は目を覚ますと四方を白い壁に囲まれた部屋に閉じ込められていた。ここが何処なのか?なぜ男はその部屋に閉じ込められたのか?誰の仕業か?途方に暮れる男は、何とかその部屋から出ようと試みるが出口が見当たらない。壁に近づいて触れてみると、男の視線の先に“何か”が現れた…。

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2009年の日本映画。松本人志第二回監督作品。
シュールなコント仕立ての脱出劇で、やはり哲学的要素が散りばめられているが、『大日本人』に比べれば娯楽としてわかりやすくなっているし、松本人志の込めた哲学についても考えやすくなっている。

男根中心主義をテーマにしたような作品で、ペニスに支配された白くて四角い部屋に閉じ込められた松本人志がそこからの脱出を試みるわけだが、そのために幾多のペニスをいじる。
ペニスをいじることで多くの物が産み出され、部屋に物が溢れるようになる。それは松本を豊かにさせ、ペニスに支配された閉鎖的な空間に居心地の良さを感じ出すが、ペニスによる支配は細かい配慮が行き届いておらず、時々、松本はペニスによって産み出されるモノに対して不満の感情を顕わにする。
結局、松本は部屋からの脱出を固く誓う。
という、松本をペニス(男性)に対する女性として捉えた見方。

あるいは、白くて四角い清潔な部屋の少年の無垢で幼いペニスは、男性機能が奪われた日本を象徴しており、それをいじってやることで、様々なモノが手に入るものの、無垢なペニスはどこか頼りなく、松本をいらつかせるだけだったという、松本を少年のペニス(日本)に対する大人の男性として捉えた見方が出来た。

いずれにせよ、松本は部屋から脱出する。そして、悟りを開いたかのような、新興宗教の教祖のような、または神のような出で立ちとなった後に、巨大な、だけど無垢な印象のペニスと対峙して、作品は幕を閉じる。
色々な見方が出来ると思うが、ちんちんが世の中を動かしているのだ、ちんちんが世の中を支配しているのだ、というのはどうやら違いなさそう。ちんちんが世の中を動かすべきか、ちんちんが世の中を支配するべきか、ちんちんは大人のものがいいのか子どものものがいいのか、そのあたりは観た人の解釈と価値観で変わりそうだ。

そもそも「しんぼる」なので、ペニス自体がもっと他の何かのメタファーということであるのかもしれないが。
                 

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