ブタがいた教室 (映画)

                 
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4月、6年2組の新任教師の星はこどもたちに「先生はこのブタを育てて、最後にはみんなで食べようと思います。」と提案。6年2組は騒然となる。ブタにPちゃんと名づけ、校庭に小屋をつくり、交代しながらえさやりから掃除、糞尿の始末まで生まれて初めての作業に戸惑う子どもたちであったが、やがてPちゃんに家畜としてではなくペットとしての愛着を抱くようになっていた。卒業の時は迫り、星はPちゃんをどうするかみんなで話し合って決めてほしいと提案。クラスの意見は「食べる」「食べない」に二分されてしまう。

(引用 Wikipedia ブタがいた教室

2008年の日本映画。
小学6年のあるクラスの担任を受け持つことになった新任教師が命の大切さを子どもたちに教えるため、クラスでブタを育てて最後に食べようという提案をする。

畜産業者も自分が手塩にかけて育てた家畜には思い入れがあるようだし、稲作を体験させるのは教育的で、畜産の体験は教育的ではないのかという考えもあるが、意図的に愛玩動物として育てさせたブタを、教育の名の下に、食べるかどうかで子どもたちを大いに悩ませるというプロットには違和感を覚えた。

まず、子どもたちがブタに愛着を抱き、食べるかどうかを悩むことは明らかだった。しかし、教師はその悩みに対して「答え」を持たずにいた。あえて目線を子どもと同じ高さに合わせているのではなく、子どもと一緒に悩み、答えを必死に模索するしかないというお粗末さが若さと情熱であり、良い教育として美化されているのと、ブタを食べるかどうかにおける議論が、子どもがピュアで良い子であることが前提にされた教室の正義のぶつけあいでしかないところが怖かった。

この映画から学ぶべきところがあるとすれば、それは命の大切さではなく、教室における意見というものは、正義が伴われた発言しか許されないという皮肉と多様性の否定であり、だからこそ、教育には常に批判的であるべきということと、作品に描かれなかった面従腹背の処世術、ブタの世話なんか面倒だし、食べる食べないの議論に興味がないという暗闇の匿名空間に追いやられた感情を推し量ることだろう。
                 

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