真田丸 第50回 最終話 (ドラマ)

                 
真田丸 第50回 最終話
豊臣と徳川の決戦が始まった。大坂城を出て、野戦に持ち込む幸村(堺雅人)だったが、形勢は圧倒的に不利。死を覚悟する茶々(竹内結子)に、幸村は「望みを捨てなかった者にのみ、道は開ける」と諭す。やがて勝永(岡本健一)らの活躍により戦況は一転、豊臣方は徳川軍を次々と撃破する。だが秀頼(中川大志)のもとに、幸村が寝返ったという噂が広がる…。幸村は、家康(内野聖陽)ただ一人に狙いを定め、一騎で突き進んでいく!

真田丸最終話。無理やりまとめようとしたからか、最後は尻切れとんぼのようになってしまっており、後半の真田丸の失速具合を象徴する出来に感じられた。

しかし、幸村と家康が如何にもフィクションのドラマであることを強調するかのような対峙の仕方をするところは妙な臭さと安っぽさがあったものの、命を大事にして生き永らえることの大切さを身の危険を顧みずに前へ出ていった家康が幸村を叱責する形で説いていたり、景勝が安全地帯で涙を流しながら幸村の姿に思いを馳せているシーンなどは、格好良さと滑稽さが同居していて、そこに演出された人間が抱える様々な矛盾には現実とロマンの狭間で三谷幸喜自身の苦悶が伝わってくるようである。

その中で、女性に強い権力や地位を与えると碌なことにならないというメッセージ性だけは一貫していた。受け取り方によっては、来年の大河ドラマである『おんな城主 直虎』へのエールのようでもあり、揶揄や挑戦のようでもあったが、それはエクスキューズで、自分に妻や子どもがいても常に自分の事を想い、傍で寄り添っていてくれる女性像への憧れを三谷幸喜がコンプレックスとして照れ隠しにしながら書いている。興味深いのは、その女性像には三谷幸喜自身を異性としてではなく、同性としてそのまま投影していることで、きりがあのように極めてアニメチックなキャラクターになっているのは同性愛のメタファーではないかとすら思う。

全体として、随所に遊び心を散りばめらせた趣のある人間模様には三谷らしさがあって面白かったとは思うし、世界のスケールが大きくなると途端に人間の面白さが通用しなくなる無力さが表れているのも教訓じみていたが、そこをフォローしきれずに三谷の脚本も淡白になってしまっていたのは残念であった。
                 

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