としごろ (映画)

                 
としごろ としごろ
バレー部員の友が自殺した
でも 私は負けない

としごろの少女たち
夢 恋 喜び 悲しみ
ヒット曲もふんだんに描いた
爽やかな青春群像劇
初々しいアイドルたち
昌子は映画初主演
百恵 さゆりの
記念すべき映画デビュー作

(引用 amazon としごろ

1973年の日本映画。

バレーボールに青春を燃やす女子達の「挫折」を描いたストーリーで、バレーボールを続けるために高校に進学した優子と、バレーボールと進学を諦めて就職を選んだ昌子、二人の「としごろ」の女の子の視点を中心にしてドラマが構成されている。

森昌子、秋谷陽子、山口百恵、石川さゆりなど当時のアイドルを並べたキャスティングが目を引くが、ただのアイドル映画というにはかなりトーンの暗いものに仕上げられており、周囲の価値観に翻弄され続け、自分の存在について悩む女子の生き様をグロテスクに描写することで、迫力の演出に成功している。
出演しているアイドルの中で一番可愛い当時15歳の石川さゆりがレイプされる汚れ役としてヌードを晒しているところも衝撃的だった。

家庭で男がふんぞり返り、妻が家のことは甲斐甲斐しく全てをやるという保守的な家族像がごくごく自然なものとして当たり前な描写や、家庭の事情あるいは女であることで高校に進学をするか就職かで悩むところなどに70年代の世相が見て取れるが、作品そのものとしてはそれらに対して至極批判的であり、フィルターを通して製作されている。

核家族の形態をとっているのに拡大家族のような保守的な家族像であることの限界、あるいはそれに虐げられる女性像からの脱却が訴えられており、あちこちにメッセージが込められた要素が散りばめられたシーンは厚みが存在し、見応えがあった。
女子生徒と熱血教師との間の主従関係という「洗脳」を描くことで、古臭いものに嫌気を差しているようで若い女性側からの男性による支配構造への積極的な加担行為は続いていると批判しているのも見事で、映像的には古いのだが、作品のテーマとメッセージは現代にも十分通用するものであろう。

そして、男性と女性の非対称について認識しながらも、その硬直した構造について明確なメッセージを出さずに、ただひたすら目の前の出来事とがむしゃらに戦いを続けるポジションとして中学のバレーボール部でOGとしてコーチをする和田アキ子の好演が本作にしなやかさを齎している。
この和田アキ子のように、あえて視野を狭めて目の前の子ども達のことだけに向き合って行動しても、結果的に大きな尊敬は集められず、男性からも愛されないというヒロイン像もまた現代に通用しそうだが、自分としてはここに本作のレトロ感を一番味わうことができた。自分のようにはなるなと、若い子達に「結婚」という「平凡な幸せ」を子ども(女性)と男性(大人)双方に同情する視点で勧めていたからである。
                 

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